あっまたここへ来ちゃったのね。

ちみたち、そんなに私の教示が受けたいの?がはは!

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10,920th 2025/07/07

投票ナビ

私の主張に合う政党はどこだろ?とやってみた。
68項目の政策課題で自分の考えを反映させる「じっくり投票ナビ」をやってみた。
比例代表での投票先は「れいわ」「社民」「共産」しかないな。
さて選挙区はどうしよう。「戦略的投票」になっちゃうのかな?

「投票ナビ」
https://japanchoice.jp/vote-navi

#PhotoにアルバムをUPしました。
https://photos.app.goo.gl/aqXzy7gy7iTbsBiv6

10,919th 2025/07/06

映画「それでも私は Though I’m His Daughter」

オウム真理教教祖・麻原彰晃の三女・松本麗華(アーチャリー)が、加害者家族として社会で批判の目にさらされながらも生きる姿を描いたドキュメンタリーだ。

映像は麻原が処刑される前から始まる。
アーチャリーが大学受験に合格したものの入学を拒否されたという話は聞いた覚えがあるが、銀行で口座を作れなかったり、就職も出来ない現実が映し出される。
銀行に口座を作れないって「反社」の扱いだ。

優しかった父との思い出が語られたりもする。
麻原が逮捕された時、彼女は12歳。
体験した年が若いせいだろう、父親を客観視出来ず、父親の姿を追い求める行動が続く。
常人には経験できない異常な体験を幼少期にし、社会からバッシングを受け続け、それでも父親の人間的な一面を追い求める娘。

私は幼少期から父親に「親は親、子は子。全く別な人生」と教え込まれた。
そんな私には松本麗華の感性がちょっと理解できない部分も多かった。
もっと切り捨てても良いのに・・、と。
ま、私の方が普通じゃないかも知れないが、死刑制度を含め考えさせられる映画ではあった。

そんな今日は麻原らが処刑された日。(2018年7月6日)

映画「それでも私は Though I’m His Daughter」
https://www.iamhisdaughter.net/

#PhotoにアルバムをUPしました。
https://photos.app.goo.gl/Jh7GsoC19tQZTuHq9

10,918th 2025/07/05

歴史講座・川崎学「命を守った人々」

「関東大震災の被害」と「朝鮮人と川崎・鶴見」という構成で、川崎に於ける「関東大震災での朝鮮人虐殺」についての講演だった。
講師は法政二高の教諭でもある京浜歴史科学研究会会員・大湖賢一氏。

関東大震災の被害については、東京や横浜と違って川崎では火災が少なかったとのことで、震災後、東京や横浜から多くの避難民が押し寄せたとのこと。
川崎市史によれば、「9月2日早朝に東京・横浜から避難民が来た際に、横浜では鮮人が放火し婦女を強姦し金品を掠奪したりしていて、東京でも同じ状況だと口々に言い罵って通行していった」との記載がある。
9月2日の午後には警察から「京浜方面の鮮人暴動に備えるため出動せよ」との達しがあったり、「鮮人加瀬山に現る」との報もあった。
そんな中、震災2日後の9月3日には神奈川県にも戒厳令が敷かれ、9月5日には砂子に憲兵隊出張所が設置された。
記録がないので詳細な数はわからないが、東京・横浜で虐殺された朝鮮人は6,000人を超えるとも。

しかし一部ではあるが、「田島町渡田浜の朝鮮人130を虐殺しようとしていたのに対し土木請負業者がこれを制した」という記録や、「田島町助役が町内の神社境内に朝鮮人を集めて食糧を支給し、バラック5棟を建てて朝鮮人180名余を収容した」という記録、また「神奈川警察署鶴見分署の分署長が署員30名と共に朝鮮人220名、中国人70名を保護した」という記録もあるとのこと。

講師・大湖賢一氏曰く、「当時は第1次世界大戦後の不況下であり、そこに大地震という社会不安が加わり、更に植民地・朝鮮における三一独立運動による朝鮮人に対する感情も加わっていた為、朝鮮人に対する一方的な悪感情がデマの急拡散に継った。さて今はどうだろうか。30年にも渡り続く不況、そして物価高、加えて南海トラフ地震予測という社会不安、そこに日本人ファーストという政治勢力の出現」と、現状を危惧していた。

おぉ!さすが法政二高の教師。纏めるところは纏めるな!と感心した講義だった。
知らないことはまだまだたくさんある。
民衆に迫害・虐殺されそうになった朝鮮人や中国人を身を挺して救った人々がいた事を知れて救われた気持ちだ。
100年前の民衆が起こした過ちを繰り返さないためにも、私自身、そのような際には積極的に活動しよう!と改めて思った講演だったよ。

10,917th 2025/07/04

参院選の思い出

6年前の参院選は今日が公示日だったのか。
生まれて初めてポスター貼りのボランティアをやったなぁ。
雨混じりの暑い日だったっけ。

帰宅したら真っ茶色な尿。
その晩から目眩が始まり、翌朝トイレで倒れて救急車。
担ぎ込まれた関東労災でそのまま入院。
翌週から女房とクルマで行くはずだった20泊21日の北海道旅行は全てキャンセル。
今、当時のスケジュールを見てみたら、20泊のホテル予約や、津軽海峡のフェリーや、苫小牧大洗フェリーだけじゃなく、

炭鉱ツアー@羽幌
羽幌〜天売・焼尻のフェリー
サフォークのジンギスカン@焼尻島
シャチウォッチング@羅臼
トドワラ観光船@別海
タウシュベツツアー@糠平

これら全部の予約を女房が一気にキャンセルしたんだっけ。
結局、前庭神経炎と診断され、それから3ヶ月ぐらいはふらつきが治らず自転車にも乗れなかったなぁ。
バイクに乗るには半年掛かったぜ。ははは。
そんな参院選の思い出。

「私がポスター貼りを依頼された公設掲示板の場所MAP」
https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1oeSEGHhqRQY-qk_BOivGS3ImnSxw7Om7&usp=sharing

10,916th 2025/07/03

映画「選挙と鬱」

2022年の参議院議員選挙に立候補した水道橋博士の選挙運動に密着し、当選から鬱病による議員辞任とその後を追ったドキュメンタリーだ。
いやしかし、3年前の「れいわ」の盛り上がりって凄かったんだね。思い出したよ、あの頃の「れいわ」の熱気。

前半(というか2/3以上、もしかしたら3/4)は水道橋博士の選挙運動に密着した部分。
色々なことが起きるのだが、でも全般的に言えば日々の様子を追ったという退屈な内容。
おいおい、これじゃわざわざ映画館で観るようなものじゃないな、「NNNドキュメント」や「TBS解放区」でも十分じゃん!と思った。

しかし水道橋博士が鬱病で議員辞職した後からが一気に面白くなった。
元スタッフ、水道橋博士の女房、そして水道橋博士本人に直接インタビューをしていく。
いやぁ〜、これで一気にこの作品が面白くなった。

ワタシ的には前半があまり面白くなかった反動で、この最後の1/4で一気に評価が上がったな。
最初の1時間半と最後の30分の差は何なんだ!って作品だった。

ただ、監督の青柳拓が感情移入しすぎ。
水道橋博士へのインタビューで、インタビューしている方が泣くなよ!と思った。
でもま、感情移入しているからこその最後の一言だったんだろうな。
あの最後の一言は確かに良かった。この作品を締めくくるに相応しい名言だと思う。

映画「選挙と鬱」
https://senkyo-to-utsu.com/

#PhotoにアルバムをUPしました。
https://photos.app.goo.gl/QEZ1b8TZTLvUrf7n8

10,915th 2025/07/02

朝も夕も病院

先日の下部内視鏡検査で比較的大きなポリープが見つかり、その切除手術のために紹介状を書いてもらい関東労災へ。
午前中2時間掛かって手術予約まで、夕方、今度は入院の説明と手続きでまた1時間。
朝から晩まで関東労災病院な一日でした。とほほ。

10,914th 2025/07/01

映画「摩文仁」

私が摩文仁の平和祈念公園を訪れたのは2018年12月だった。
沖縄戦最後の地、摩文仁。そこにはあの有名な「平和の礎」や、各県出身兵士の顕彰碑が多数あったことを覚えている。

この映画で初めて「魂魄の塔」という存在を知った。
戦後まもなく、地域住民がこの地に無数に散らばっていた骨を拾い集め、大きな骨壺の丘をつくったというのだ。住民自身による犠牲者への慰霊の丘、それが今の「魂魄の塔」なのだと。
平和祈念資料館のある摩文仁の丘からは5kmも離れた場所にあるということも今日初めて知った。

しかし昭和27年、摩文仁の丘に第32軍司令官の牛島満大将の慰霊塔が建てられる。
『生きて虜囚の辱めを受くることなく、悠久の大義に生くべし』と、兵と市民に犬死にと玉砕を求めた人物の顕彰慰霊碑だ。

そして佐藤栄作訪沖。
沖縄本土復帰時期から旧軍顕彰の碑が続々と建て始められる。
今、摩文仁の丘にある夥しい数の旧軍顕彰碑の出現だ。
沖縄を除く46都道府県の旧軍顕彰碑の内、32基が摩文仁の丘に存在する。
本土復帰とともに、本土による「英霊の顕彰」が顕著になる。

しかし1995年、大田昌秀の沖縄県知事時代に、国籍や軍人・民間人の区別なく沖縄戦などで亡くなった全ての戦没者の氏名を刻んだ慰霊碑が建てられる。これが「平和の礎」だ。
6月23日、沖縄慰霊の日、「平和の礎」の前で、多くの人々が跪き祈る姿を映画は映し出す。

この映画は、同じ「慰霊」なのだが、誰が、誰を、何を、慰霊するのかを映し出す。
市民、日本軍、自衛隊、朝鮮人、アメリカ軍、殺される側、殺す側、殺された側、殺した側、極めつけは靖国崇拝の歴史修正主義者。
それぞれが誰を、何を、慰霊するのかを映し出す。

国土面積の0.6%の沖縄県に、在日米軍専用施設の70%を押し付けている本土政府。
沖縄はいつの時代になっても本土の防波堤であり、抑圧される側であり、搾取される側であり、捨て駒だ。?
摩文仁の丘でのウチナーンチュの「犠牲者への慰霊」と、ヤマトンチュの「英霊の顕彰」の姿がそれを明らかにしている。

私自身、沖縄には借りがある。
辺野古にもまだ行けていない。
私が摩文仁の丘で見た「平和の礎」や、夥しい数の各県出身兵士の「顕彰碑」の成立の経緯もよく分かった。
摩文仁の丘を訪れる前にこの映画を観ていれば、「平和の礎」に対する思いも変わったと思う。
「魂魄の塔」にも訪れたはずだ。
もう一度訪沖しなければならないな。

映画「摩文仁」
https://eurasiavision.net/mabuni/